本物のピラティスを学びたい方へ贈る【ピラティスの歴史・真髄・哲学】
私はピラティスに出会い、「これだっ!」と思い、「こんなに素晴らしいものを、たくさんの人とシェアしたい!」という想いで、ピラティス指導者を選びました。
地方都市沼津という場所に住んでいて、なおかつ小さな子供がいたことから、「自分の街でピラティスを教える」ということが前提条件でした。
ですが、この街では次から次へとピラティス専門スタジオが閉店してしまい・・・、最後に私が指導していたスタジオも閉店という状況になってしまいました。
何も準備ができていなかった私は、「素晴らしいピラティスをシェアしたい!」 の一心で、沼津での最後のピラティススタジオ閉店のお知らせかを聞いてから、一晩で、開業を決意しました。
恐ろしいほどお金がなく(←今でも、かなりのトラウマ・・・)、心臓は破裂しそうだったし胃袋なんて飛び出てきそうでしたが、屋号を立てるということは、自分が全責任を持つべき場所ができたということです。
当時は「経営」という言葉さえ思いつきませんでしたが、それでも、ヨチヨチ歩きで経営がスタートしていたのかもしれません。
私は、ピラティスをはじめたことで、「自分の心の声」と「自分の体の声」が、随分と聴けるようになりました。その声を一番大切に、道を進めている気がします。
さて、国税庁のデータとして、次のような企業生存率がいろいろなサイトで紹介されています。
日本の会社のうち
うーん。これは正しいのかどうか、体感的には疑問にも取れますが・・・あらゆる経営勉強会でも、設立3年後、5年後の生存率が恐ろしく低いということは何度も聞いています。
私は開業して8年。小さな小さな会社ですが、それでもやはり「会社の運営」となるといろんな壁がありました。何とか今日も、とても小さいながらもピラティスメソッドジャパン株式会社を継続しており、とてもありがたいと実感しています。
さて、流石にスタッフや社員を雇用するとなると、ある程度は理論立てた考え方が必要となります。
いわゆる経営目標や、経営戦略など。
キャッシュフローについては自分なりに常に考えているし、次の目標に向けて、どのように資金調達をして、どこに投資をするか、というのも考えています。
さて、私の場合は、とっても小さなサイズですが会社を作ってしまったので「必然的に会社を継続させなくてはいけない義務」があります。自分が好きではじめたピラティスですが、経営者としての責任も、常に伴ってくる。このうな中、自分には「二種類の目標」があることに気がつきました。
一つは、「経営目標」。
もう一つは、「人生の目標」。
この「経営目標」と「人生の目標」は、違う観点からスタートします。
ですが、違う観点からスタートしながらも、この2つの目標が、最終的に「ピタッと合う」ようにしています。
私にとって(誰にとっても)、大切なのは、
やはり「人生の目標」。
それを実現するために、「経営目標」。
ただし「経営目標」は、自我だけではなく、スタッフやお客様は当然のことながら、関わってくれる全ての人や、社会にも責任があり、恩恵をもたらすべきものである、という条件が入ってきます。
これらをクリアーしながらも、やはり最後は2種類の目標を「ピッタリと」合わせる。
いくつかのセミナーで、「どうやったらモチベーションがそんなに継続できるのですか?」と質問をいただきましたが、その答えは、ズバリ、この「ピタッと合わせている」ことだと、最近気がづきました。
「経営目標」を達成するというのは、多くの人を喜ばせることができる、素晴らしいことです。ですが、この目標は「頭を使った理論的なところ」から生まれてきます。
理論とは、「今の社会的常識」 が少なからず関わってきます。
だから、社会の常識がひっくり返るくらい変われば、この「経営目標」も、ガラッと変わってしまいます。そして、経営目標とは頭で考え、頑張らなくてはいけない目標でもあります。頑張ることで自分自身も成長し、世界が開け、達成感も十分に味わえ、名誉も得られるかもしれないし、それはすごいモチベーションにつながるし、素晴らしいことです。
ですが、社会の価値観や、自分の心が変わった瞬間に「大きな義務」としてのしかかり、疲労してしまう原因にもなるかもしれません。経営目標には、社会の価値観や、誰かの価値観にも関連してくるので、当然かもしれません。
一方、「人生の目標」というのは、頑張って立てるものではありません。湧き出る泉のように、自分の中からふつふつと、とどまることなく出てくるようなもの。そのことを想像するだけで、何だか魂までキラキラと、ときめいているのが感じられるようなもの。
想像するだけで幸せになれるし、理由なんてなく、ただ自分がそれに心を奪われて、やってみたい、チャレンジしたい!って自然に思える何か。止めたくても、止められない。
私の場合は、幸運にもこれが「ピラティス」ということです。
「経営目標」は、「人生の目標」を叶えてくれる手段にもなり、
「人生の目標」は、「経営目標」を達成するための揺るぎないモチベーションになる。
結果、社会の役にも立てる。
この2つの目標が、「ピタッ」と合っていた偶然と必然(1?)に、最近なぜだか突然気がつき、一段と、日々に感謝できるようになりました。
さて、「経営目標」は誰にでも作れます。考えれば組み立てられることだからです。
では、「人生の目標」はどうでしょうか。
私は、この「人生の目標」が、ずっとなくて、本当に辛い20代を過ごしていました。
何をしても、楽しくない。もちろん、他人から見たら、相当楽しそうな人に見えるくらい、弾けて遊んでいました。
でも、毎回繰り返し襲われる、虚しさ。何のために自分って存在しているのかという、解決できそうにもない問題・・・。20代にも体調不良を何度か経験し、そもそもなんで病気になるために生まれたの?なんて、暗すぎる時期もありました。
でも、そんな経験をしてきた私だからこそ、ピラティスを勧めたい!
ピラティスは、「本来の自分を取り戻す」メソッドだから。
頑張るんじゃなくて、溢れ出る活力。ふとしたときに感じる幸福感。どれも、自然に湧き出る泉のように・・・。素晴らしいことです。
話は変わりますが、私の新しい近況報告です。
この3ヶ月間、ほぼ欠かさず「呼吸」だけの時間をとっています。30分くらい。
先日、この件について雑談をさせていただいたところ、世間では、マインドフルネスとか、瞑想と言われているものに近いようです。
はじめたきっかけは、ジョセフ・ピラティスが「まず、呼吸!」と言っていたからです。
だから、ただただ何も考えず、呼吸だけをする時間を毎日とることにしました。ですが、やってみる前の想像と、やってみた結果は、びっくりするほど違っていました!!
よくよく考えてみると、当たり前ですよね。「やってみた後の自分」は、「やってみる前の自分」では、知る由もないのですから!
「30分間以上も呼吸だけなんて、私には死んでも無理!眠そう!」なんて思っていたのが、「30分!? 1時間!?そんな時間軸なんて、全く感じない!」という、想像もできなかった状況です(笑)。そして、いろんな気づきが起こり、その後に、びっくりするような静寂が訪れます・・・。
長くなりそうなので、「呼吸」については、また機会があったら・・・。
いずれにしても、良いと思ったことをやってみる。
目標に近づきそうなことを、遠慮なく選択してみる。
そうすると、「やってみた後の自分」に出会うことができ、それは、とても素晴らしく進化したり、発見したりしているということで、「やらない理由がないなあ」と思います。
本日のコラムでシェアしたかったことは、
です。
誰でも、好きではじめたピラティスや運動指導ですが、社会の中での立場と、自分の想いと言うものが混在します。
特に、「理想と現実は違う」という言葉をよく聞きますが、「自分の真は何で」「社会の中ではこういう役割を持っているから、こうやって計画を立てて行く」と一歩引いたところから静かに見れると、何かまた新しい発見があるかもしれません。